壊れた
ついにドゥームズデイが決まった
モラトリアムの終末 精神酷使の始まり
大学一年生以来の深刻な鬱になっていた。確かに就活の時は辛かったが、辛さの方向性がだいぶ違うように思う。前回は不安でたまらなく辛かったが、今回は違う。精神が複雑に伸び縮みし、絡み合ってしまった。結局今はお腹か心臓か、どことも言えぬところが真空になってしまった。
パスカルは誰の心にも神の形をした真空が存在すると言ったが、彼が決定的に誤っていたことがよくわかる。
真空を作ればたちまち鬱の空気がやってくる。これらが一度入って仕舞えば、あとは時間をかけて換気をするしかない。
私が鬱になった理由はおそらくモラトリアムの終焉ともう一つの決定的な事故が原因だ。
私は学部で主席の地位を得た。学費の一部が免除される。
親や教師からの祝辞と表彰状を貰った。
ただそれだけであった。
私は拗らせている。学歴コンプレックスと言えるかもしれない。人に学歴を言うことはやぶさかではないのだが、ただ自分が今の大学にいると言うこと自体が許せなく、苦しいのだ。
そんな中でも頑張ってどうにか手に入れた主席である。
主席の連絡が来た時は嬉しかったが、その喜びはすぐ終わり、主席は喜びというよりも慰めをくれる存在になった。
たかが慰めであった。
それを再び喜びに変えるには実感が必要だったのだ。私が努力してどうにか手に入れた主席。したがって学費免除による褒美を親からもらえると思った。
学費免除になった分のうち、一割で良かったから欲しかった。
その一割はお小遣い3ヶ月分であるから、それで達成感を得られると思った。それでやっと喜べると思ったが、親は許さなかった。親は絶対である。曰く学費はそもそも親の出費であるから、一銭たりともわたしには分け与えられないらしい。
私が壊れかけた心で手に入れたものが全て他人の元へゆく。
そして親はその構造に気づかない。親は絶対であることを思い知った。そんな論理展開が許されるなら、子供は奴隷であろう。
この日から頭がおかしくなりつつあった。この出来事は衝撃的過ぎた。
モラトリアムの終末とこの事故は私を更なる磔刑に晒すのに十分すぎる罪であった。
この悪夢が更なる悪夢を呼んだ。
親が寝ている私を起こした。不眠気味であることを告げ起こさぬように頼むと親はこう答える。「外に出ル生活をしろ。そうして生活習慣を正せ。私も不眠なのだ。しかし生活習慣は乱していない。」
この日はよく寝れそうな日であった。しかし飼っているペットの事情を理由に私を起こした。
(正確には親が勝手に預かってきたペットなのだが。親は絶対である。)こうして私はおかしくなってしまった。
あなたの不眠が一体どのようなタチのものかは知らぬが、もし私のものと同じ類いのものであったのなら、到底こんな発言はできぬはずである。
この日から直ちに私は塞ぎ込んだ。
親は私が死にかけ、数日自室に篭り始めると心配そうな様子で私に接するが、何も点でわからぬようで私に接する。やめて欲しい。
そんな態度だと私はこのことを言えないではないか。あなたを傷つけられない。
この日より私は虚無主義で反出生主義になり、更には独我論者になりかけている。
出生は罪である。人を殺すことを上回るかもしれないほどの罪である。
私はこの罪を犯すまい。
私は復活傾向にある。以下の引用をする程度には小康状態を保っている。会社からビンタを受け目が覚めたのだ。
「私は二十歳だった。一切が重圧となって私にのしかかっていた。ある日私は、いわゆる〈精も根も尽き果てた〉のていたらくで、長椅子に倒れこんだ。 母はすでに私の不眠症を心配して気も狂わんばかりだったが、いま、私の〈安眠〉のために、ミサを一つあげてもらってきたと告げた。一つといわず三万のミサを、と私は叫びたいところだった。」(エミール・シオラン著 出口裕弘訳 生誕の災厄)
これは私だ。
シオランありがとう。