憂鬱に振り回される大学生

某私立大学生にして鬱病に過去二回既に悩まされた人生不適合者の日記

精神世界の露呈

英語の授業が頗る憂鬱だ。

ライティングの授業を仕方なく受けているのだが、世界一嫌いな授業になるかもしれない。 そもそも英語は苦手ではない。某テストでは(特定が怖いのでボヤかすが)800点以上はとったし、今のところ英語の成績は順調。

にも関わらず嫌いなのは簡単に言えば苦手だからだ。嫌味ではない。

小学生のような言い訳かと思うかもしれないが、これがわたしにとっては一大事になってくる。

 

そもそも得意苦手といった意識は結局のところは主観的なものでしかない。たとえどれ程の実績を残そうと最終的な決定権は心にある。自らの神に従い慢心を恐れるがあまり全てが苦手になる。

 

私は英語が苦手だ。だから英語で文章を書けなどと言われたら必至に調べて英文を書く。

 

どう説明すれば良いのか分からない。

それでも拙さや難解さを恐れず書き連ねるのであれば、自分の中身が露呈するのが怖いのだ。この気高く深淵の奥底に没落する精神を誰にも見られたくない。

日本語であれば喜んで文を書こう。己の思う狂乱世界を示そう。しかしそれでも書くのはいつも偽りの文だ。 自分は日本語が通常の会話における意思疎通に問題がないほどには出来る。だから己の見られたくないところを的確に隠し、全て日常しか表さない。 私が書くその文に魂は宿らない。

(ここに誓う。この文には私の全てがある。その核心に嘘偽りはなく、まさに赤裸々な私を書いている。この世界の匿名性を利用して全てを吐き出していると誓う。)

 

しかし英語はどうか。私はそこまで英語が上手くない。的確に己の精神を埋め、身体を出すことができるほどに上手くはない。 私の書く英文には私の精神がありありと露呈している。 今まで生きてきてひたすらに隠していたものを教員に提示しなければいけないことは甚だしく苦痛だ。それでも抗ってひたすらに己のものではない言葉を探し文に連ねる。

幸いなことに今のところは心の流出はほぼないと思う。

 

 

嗚呼、あと半分。隠しきれるのだろうか。